広野ICで常磐道を降り、国道6号線へ。そこから北上し、右手に福島第1原発のクレーンがちらっと見えたり、浪江、南相馬へ。帰りは南相馬ICから常磐道を上りました。
画像と動画は、グーグルフォトにありますので見て下さい。(整理してないです)https://goo.gl/photos/XGoCgPJpw3X8cGvX6
行きの常磐道いわき辺り、道路脇の表示板「広野~南相馬の高速道路上の放射線量」0.1マイクロシーベルト毎時~4.4マイクロシーベルト毎時の表示。
年間にすると、1日4時間その場所にいたと仮定して、44ミリシーベルト年間になるそうです。
四倉PAには、高速道路上モニタリングポストの説明と、線量の表示が有りました。帰りに確認したところ、道路上のモニタリングポスト表示とリンクしているようです。
広野ICから6号線に入り北上。この辺りは、会社では働いている方が居て、コンビニも営業中、飲食店も有りました。除染や廃炉のお仕事の方が多いようです。内道のは入らなかったので、そちらの様子は分りませんでした。
そして、帰還困難区域へ。ここから先の沿線は震災以来、そのままのように感じました。草木は伸び放題で、壊れた建物もそのままでした。また、国道から商業施設の入り口や、各お宅への入り口にはバリケードが張ってあり、中には入れない状態です。当然ですね。それでも交通量は普通にあり、廃炉関係の方と除染関係のお仕事の車の多さに驚きました。所々にモニタリングポストが有り、表示は3マイクロシーベルト毎時以上でした。山林も多く、この地域の除染は容易でない事を感じました。
帰還困難区域では、各交叉点にバリケードが有り、右左折出来ないようになっていますが、一か所だけ、福島第1原発に入る道だけは曲がる事が出来ました。その辺りからクレーンが1本見えました。数百メートル行くと通行証無しでは、通過できない検問が有りましたので、そこで引き返しました。お仕事の邪魔をして申し訳なかったです。反省。
浪江を抜けると、少しずつ普通の生活圏が近づきます。小高駅は前回の訪問では、線路がどこにあるか分らない程度に、草が茂っていましたが、線路の石も新しいものに変わり、綺麗な線路の戻っていました。また駅舎も再開へ向け綺麗に整備されたいました。前回記憶に残った自転車置き場はまだそのままでした。駅前に「東町エンガワ商店」が開設し、前回は倒壊した店舗が目立ちましたが、それも解体され綺麗な町並みに戻りつつあるように感じました。
そして、恒例の牛さんにあって来ました。吉沢牧場さんです。今回は初めて吉沢さんとゆっくりお話しさせて頂き、震災当日の事から、原発の爆発音を聞いた時の事、近隣の牛たちの事、国会議員さんとの関り、除染について現地の声、再稼働について、牧場の維持にかかるお金の事、渋谷での街宣の反応、世の中の反応の移り変わりなどなど、沢山のリアルなお話を伺いました。この場所は帰還困難区域の境なんですよね。ここから先にはバリケードが今でもあります。
南相馬に向かう途中には、仮置き場に除染袋の山です。あっちのもこっちのも凄い量です。これも最終処分は決まってないし、除染そのものも、するべき所と、どーなんだろうなぁと思う所と…。複雑な心境で見てきました。
南相馬市内に入ると、普通の街並みになります。ほんの数時間の間に、普通の街並みから帰還困難区域、また普通の街並みへ。その普通に見える街並みが本当に普通なのかは、通りがかりでは判断しかねますし、情報からもご苦労が多い事は分ります。
南相馬ICから常磐道で帰路へ。この間も左右の沿線は、除染袋の山があちこちに見えます。
最近は原発のお話は控えています。思いは重くなるばかりですが、現地の様々な方の事を思うと、なかなか投稿する気になれません。今回もこの意見は、なるべく書かないで、行ってきましただけの投稿にします。それぞれの皆さんが感じた事を、隣の方とお話しするネタにして下されば幸いです。
もう2度と、こんな事故が起きないと仮定しても、被災者の皆さんは何も変わりませんよね。先ずは現実に起こっている事に対して、人として間違えなく対応できているかが大事だと思います。しかし、2度と起きないなんて確証は全くありません。その備えはどうなのでしょうか。ちょとだけ思う事も書いちゃいました。一緒に行ってくれた「あなた」にありがとう。
画像はコチラです。
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